poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

思考方法 ~The world needs all kinds of mind~

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自分の中だけでも思考方法はきっといくつかあって、状況に応じてどの方法をメインで使うか、どの選択肢を優先させるかを無意識に使い分けているのだと思う。

 

▶要求・目的を的確に把握する

▶選択可能な方法・ルート・手段の数

▶状況・環境を観察理解し

▶総合的に選択・決定・行動する

 

この能力には個人差がありデコボコしている。その差自体には問題はないのだけれど、

「個人差があるよね」と認識を共有できていないことは多く、そこから微妙なすれ違いや問題やストレスが発生していたりする。

 

そして、”実は私たちは毎日、毎瞬違う”ということを理解していた方が良い気がする。

脳の作業領域のバランスが違うと全く別人に感じられることもあるのではないかということ。更には、天候やホルモンバランスや日照時間や微妙な磁力の変化など、宇宙レベルの環境ともリンクしているということ。

 

最近、文章を構成するという作業がとてつもなく面倒臭くて、「なんだろう、ただブログを続ける、文章を書くというのが苦手なのかな?喋った方が楽だから、RadioTalkとか音声記録に切り替えてみようかな」なんて思いながら自分を観察していた。一つ気づいたのは感覚や知覚や直感はいつもより際立っているということ。論理的思考、感覚的思考の比重が変化していて、出来ないことを克服しようと負荷をかけるようにトレーニングすることも良いし、優位に働いている方を伸ばすように切り替えて、絵をかいたり瞑想したり短い詩的な言葉で表現する別の方法を試す、舵取り練習のチャンスでもある。と思った。

 

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こうしていつも私は、色んな角度から自分と世界を観ている。

より自分に正直でいられる選択を大切にしているし、自分と他者がともに正直でいられる調和点(妥協点ではなく!)はいつも存在すると信じている。(そのためには登場人物が皆、自分に正直でいることを知っていることが必要なのだけど。)

 

この動画の6:20あたりから、情報の知覚認識と洞察力、カテゴリー別けについて話されている。私は洞察力と問題解決力に長けているが、この動画で言われている通り「カテゴリー別け」が苦手な人と認識を共有するには時間と根気が必要になり、結構疲れる。(のでたいがいは相手を理解する最大限の努力をして、理解されることは諦める。結果変な人、常識が無い、協調性がない調和を乱す発言をする、とみられることが多い。まあ悲しいししょうがない、慣れている。)

 

実はこの洞察、カテゴリー別け能力と問題解決行為の葛藤はボディワークでも同じく起きている。

 

観る、聴く、嗅ぐ、感じる、会話など、触れる以前の情報

自覚している症状と無自覚の部分、どう認識しているか、感情、、

ユラユラと動き続ける立体的なパズルの、どのピースから触れようか

言語ではなく知覚で考えている

 

これからしていきたいチャレンジは、施術を離れたところ、

つまりセルフケアの提案をするときにもより知覚的に伝えたり提供すること。

 

薬膳や中医学を取り入れたお惣菜をつくるとか、

呼吸法を楽しんでもらうためのきっかけを提供するとか、

 

それらすべてを含めたコンセプトシェアハウスの計画を進めています。

 

まだ形にはなっていませんが、実は私がどこかに住んでいるだけでそれは始まっている、とも言える。

 

私たちが生きる世界は今の連続だということ。

I have arrived, I am home

In the here and in the now.

I am solid, I am free

In the ultimate, I dwell

I have arived, I am home - Plum Village song (lyrics) - YouTube