poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

居場所は自分の中にある

文章を書くのがおっくうになっている原因に、脳の作業領域バランス以外に実はもう一つ心当たりがあって、、”今のわたし自身が構成されるまでの背景について”

これから作っていくコンセプトハウスのベース、種、原点に大きく関わることなので、書かないでいるといつもモヤモヤと出口が詰まってします。もう一歩先へ進む為に、少しづつでも書いてみようと思う。

 

『自分の居場所は自分の中にある』

これは、子供の頃からずっとずっと居場所を探し続けて、数年前にやっと辿り着いた答え。

 

感覚が敏感で繊細で、まわりの人の感情や考えていることその場の状況を察知する能力が高かったので意識が外側に向きやすく、自分と他者のどちらを優先していいのか境界線が曖昧だったように思う。知覚から情報を得ている、良く観て聴く性質でもあったので、意図を読むことも得意だった。勉強ができる方だったのだけれども、それは「ここで学習して欲しいと教科書や先生が意図していること」指導目標を読み取っていたのでテストが始まる直線に、出そうなところをパラパラと眺めるだけでかなり良い結果を出せる、そんな子供だった。そんな子供だったからもちろん、『努力をして良い結果を得る』ことが良いという集団無意識も察知していたし、多くの人が描くわかりやすい努力だけが認められる世界と、その通りの努力ができる人を冷ややかに見ていた。

 

そんな私はアルバイトができる年齢になるとすぐにお金を稼ぐことに夢中になった。経済的に不安定だったので、自分が自立するため、居心地の良くない家を出ていくため、お金でギスギスしている家の空気が少しでも和らぐように、母の負担が減るように、色んな理由でとにかく働いた。アルバイトにたくさんの時間を使っても、私は勉強ができてしまっていた事で、私はまわりのノホホン年相応の暮らしをしている人達を馬鹿にし、羨ましく思っていた。

 

そんな中身の擦れた高校生時代にお金と家庭に関する問題が起きて、私には今もその頃の一時期の記憶が全くない。その後専門学生になり、旅をして、仕事をして、留学や海外生活を送り、日本に戻り、自由に仕事を選び、自立(仮)を謳歌していた時に、人生で最も失いたくなかった人が亡くなった。所々でうまく見過ごしてきた自分の中の歪、が一気に不安定になった。そこで数か月何もしないで過ごす呑気さと経済的(と見せかけた精神の)余裕が無かったので、私は精神科に通うようになり強制的に精神薬処方が始まった。

 

人に頼ることが出来ない、助けて欲しいのに依存することが怖い、お金を払って割り切って精神科の先生の前と独りの時だけありのままに泣いて感情を出して、他ではうつ病だということを必死に隠したり、友人の前では大量の薬を飲む自分をネタのように扱いまあまあの自虐をしたり、「別に」と無気力な状態でいた。そして2年以上、毎晩、もう二度と目を覚まさない事を願って息を止めていた。苦しくて苦しくて、でも精神力で息を止めきることは結局できなくて毎晩毎晩絶望していた。今もとても深い瞑想に入った時にやっと喉が固く締まっていく感覚が現れる。(あの頃を再体験し自分を癒すにはまだまだまだまだかかりそうだ。)望みもしない処方薬から抜け出したくて、回復や減薬の兆しが見えない事に更に絶望して、最終的に自ら望んで閉鎖病棟に入った。そこに行けば、自分の居場所があると思っていた。

 

が、無かった。むしろ外の世界の住人の心の安定の為に、中の世界があるのではないか?と思うくらい、世界の全てが異常だということに気が付いた。管理される人間、管理する人間、評価される人間、評価する人間、問題を投影する人間、問題そのものになってしまう人間。

 

絶望しきったら色々どうでも良くなって、もう本当にいつ死んでも良いから、ここから先は全部「おまけ」にしようと思った。全部どうでも良くなったから、ちゃんとしていないととか社会復帰とかもどうでも良くなって、自力断薬を初めた。苦しくてかなり時間もかかった。がやめられた。断薬についてネットで調べる程、その離脱症状がドラッグ等の症状と一緒で(そして同じように扱われていて)やりたくてやったわけでもない処方薬中毒だったからこそ、とても悲しかったのを覚えている。

 

今はたぶんおまけの4、5年目

 

外側にはどこにも居場所はないし、居場所は自分で見つけるしかないと体験から答えに辿りついた私だからこそ、築ける空間があると信じている。

あなたがあなたの中に安らぎを見いだすまで、そばにいるよ。

 

それがコンセプトハウス『慈悲の家』の根っこ。

 

どんな形でどんな規模で始まり、どうビジネスになっていくか、そもそもの資金をどう集めるか、全くわからないけれど、とにかく0から1に進むには始めるしかない。

ちゃんとビジネスにして、困難な状況におかれた10代の子の為のシェルターとして機能できるようにしたい。

 

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