poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

About my strengths

私の強みを客観的に眺めてみる。上位7つの資質↓

 

1. Connectedness / 運命思考  ・・・人間関係構築力資質群

2. Individualization / 個別化

3. Ideation / 着想  ・・・・・・・戦略的思考力資質群

4. Empathy / 共感性

5. Strategic / 戦略性

6. Command / 指令性 ・・・・・・影響力資質群

7. Activator / 活発性

・・・・・・・・・・・・・・・・・実行力資質群

なんとも!とんがってる!

全ての繋がりを感じながら、それぞれのユニークさに着目し、点と点が映像や匂い気候環境などの外的要因をも含めて繋がっていく。それは非言語で共有される世界でもあり、捉えようとせず”今”という一点への気づきにいるからこそ感じられる。観察と多角的視点と閃きを活かす為に、自ら決断する。

 

もし15歳の私が進路相談で私のところを訪ねてきたら、

チャーリーズエンジェルのDVDBOXとパスポート取得費用と地下足袋スニーカー(身体感覚と脳を鍛える為にね)をプレゼントして、ぎゅっとハグして「大丈夫、あなたの全てで世界を観ていて。そしてのびのびと思うように生きて」と伝えよう。そして信頼する私の友人の連絡先を3つぐらい渡そう。

 

 

そんな私は今、タイマッサージをしていて、中医学も学んでいる。どちらも大宇宙の原理と小宇宙観察から得た知識を体験し、知恵を得てそれを今生に生かす、時と生命の繋がりの一部だという認識からは切っても切り離せない実践。強みを生かす選択はつまり魂の選択なんだろうか。

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中医学は中国の古代哲学から生まれた医学であり、医学思想の中には素朴な宇宙観が多く含まれている。円形宇宙の中に存在するものはみなつながり、互いに消長・変化しあい、「葉落帰根」(葉は落ちて根元に帰る)のように、始点と終点はいつも同じところだと認識されている。

すべてはつねに消長・変化するものであるということ、そして同時に、すべては循環し同じところに還るものであるということ、—――ここに整体観念と弁証論治という二つの中医学の特徴が生じている。

【整体観念】整体とは統一性と完備性といういみである。遠古時代、高い空と広い大地の間に生きている人たちは、自分しか頼りになるものがなく、天候の変化により着る物を替え、農作物の確保を急ぎ、人間は自然界との関係を最も重視していた。次第に身体の統一性と完備性、さらには各臓腑・組織の相互関係も非常に重要視するようにいたったと考えられる。そのような経験の積み重ねにより、整体観念は生まれた。

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表の顔が施術者で、裏は探偵なんて最高に適職だと6年程前から思っている。(こんなブログで書いている時点であうとだけど、ご依頼の場合は爆発しないタイプの音声データで送って下さい。いつでもお待ちしております。)

 

 

そして自分について、著しく出来ないこともたくさんあるし、誤解されることも多いのだと思う。一見、何の根拠も無いようなところから状況がガラリと変わる転換を起こすからだ。それはこの川で遊んでも良いだろうか?を判断するようなものだ。地形、水温や水のにごり、数日間の天候、遊ぶ人たちの性質傾向や体力、スケジュール。。。目の前の穏やかなせせらぎが誘ってきても、もうすぐ昼時でも「ここはNO、もう少しだけ進もう」と発言したりする。「あなたの為、みんなの為を想って!!」という感情的なものではなく、私というコンピューターが静かに最善策算出した結果で、ただ私は嘘をつけないだけなのだ。そして私コンピューターが何故その選択肢をトップに上げて来たかを説明するのはえらく時間がかかるし、話せば話すほど現実的なので人を萎縮させることもあるしで、つまり面倒なのだ。

たまに私は何とも表現しにくい「人間は哀しい」という気分に苛まれ、その度に空や山や風や海や太陽、大いなるものに帰ることで自分自身を抱きしめる。本人が自覚していない、体や心や魂の本音を感じてしまっても、それはその人のもの。私が私を生きるように、あなたがあなたを生きる為には、時に何もしない。すご~く遠くから見守っている。”おしむ”とはこうゆう事だろうか。

 

【おしむ】 (多く「愛しむ」と書く)価値あるものと考えて大切にする。いとおしむ。 「 - ・むらむ人の心を知らぬ間に/古今 離別

 

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自分の事も、人の事も、足りないところに注目し始めたらどんどん消耗し疲弊していく。それは1対1、2人の関係に一人加わって3人になれば緩和されたり、良い循環が生まれる場合もあるし、ただ単に関係性が構築されるまでにかかる速度や必要な距離感を持つことができるかにもよる。と思う。点と点で線になる、もう一つ加わると面にもなる。さらにもう一つ加わると、多面の立体になり、その先どう展開されていくのか観るものに想像する楽しみを与える。

 

「あなたがあなたでいてくれるから、世界はこんなに素晴らしい」

やはりこれに尽きると思う。心のそこからそう思っている。

あたながあなたでいるために、わたしがわたしでいるために、その時その時の最善を選択してみよう

 

 

 

1. Connectedness / 運命思考

People who are especially talented in the Connectedness theme have faith in the links between all things. They believe there are few coincidences and that almost every event has a reason.

youtu.be

 

2. Individualization / 個別化

youtu.be

 

6. Command / 指令性

youtu.be

トレーニング

ほぼ趣味、遊びで好きでやっている感覚観察

尿意や便意を感じた瞬間、体になにが起こっているのか

各女性ホルモン分泌の転換点、その瞬間を捉える

放尿時、体が緩んでいく順番

ストレスを感じた時の体の状態

 

感覚観察のトレーニングを習慣化することによって、自覚できうる限りのことを認識する力、平静に直面する力を養っている。そして更には、無意識に結びつけられていた感覚と感情を解いていき、いつでも静けさに帰ってこれるという心のゆとりを持ち続ける事によって、平穏・安らかさ・愛・慈しみ・静寂など私が生きる世界に望むものを潜在意識下に蓄積していくという試み。つまり仏陀の教えの実践、ヴィパッサナー瞑想とメッタバーバナの日常化。

 

そうゆうひとり遊びを続けていると、身体感覚を逆手に取った心身コントロール実験が応用として始まってくる。

 

例えば施術中に肚の意識ではなく力を使ってしまっている事に気づいた時

「あれ、ついつい力んじゃった、抜こ抜こ!」と上下の歯と舌がそれぞれ触れ合わない様にして力を抜き、足の小指・親指・踵の三点がつくる三角形に意識を向ける、するとじわじわとふくらはぎ、内ももと感覚が登ってきて肛門&膣のあたりに到達する。この時の内ももと肚の温かさの様なものの感覚が肚。これだけで自然と姿勢や動き方が変わっているはず。

施術時、受け手がグッと力んでいる時も同様、まず、幸せな放尿中の身体感覚を召喚する。連鎖反応で相手が緩む。緩んだまま足指・腿・肚だけを整えていく。

 

言葉を越える為に、探求は続く!

 

他にも肛門と喉の関係とか、小指の螺旋とかいろいろ観察中なのでまたの機会に。

ちゃんと

ふと、

 

私、色々”ちゃんと”できないけど生きていけるのかな~と思ったりする。

不安とか心配ではなく、ただぼんやりとそう思う。

 

”ちゃんと”という一体何を指しているのか実は誰にも分らない、雲の様な表現は【魂の脱植民地化とは何か】という、社会、自分(だと思っているもの)、魂、をどう見ているか感じているか捉えているか、自分自身に直面できるだけの肚づもりがどれだけあるかによってその意味が変わってくる。

 

わたしに”ちゃんと”があるとすればそれは何だろう

・自分自身に正直であること(肚と言葉や行動がちぐはぐにならない事)

・二つ以上のものを同時に尊重する努力をすること(相手と私の着地点、合意点、調和点をみつける為の変化を厭わず積極的に受け入れること)

・忍耐を持って接し、求めすぎないこと(時には全てをあきらめて立ち去ることもある)

 

現時点の最新解はこんな感じ(?)

 

世間の雲のような”ちゃんと”を脱ぎ去り、カオスに飛び込む、そしてコスモスへと移行する。

そのへんは、自分のあたまの中を文章にすることが難しいのだけど、

どんな小さな社会(家族とか)共同体でもビジネスでも、コスモスを大切にしたい。

industry-co-creation.com

田原真人公式ブログ - 『魂の脱植民地化とは何か』を読んで考えたこと

 

ラブレター

どうも、エンジェルハンド檜垣です。

施術後に褒められ小躍り。

 

不格好にぎりぎりまで切られ甘皮三昧の爪に、ささくれた指先、ペンだこ、ごつごつした節の下には放置された指毛、、それでも私の正体ばれちゃったかな~*\(^^)/*

一通り浮かれて、はい、精進します。

 

手の平だけで「愛している」を伝えられるのか、という実験もしている。

あなたを構成している細胞は、地球誕生(もしくはそれ以前から?!)の生命の繋がりなわけで、その時間と変容の果てしなさを想い、その中の一点であるこのひと時にいると、タイマッサージを通して人に触れるという事が愛していると同義にどうやってもなってしまう。「あなたという存在、それを構成する全てに感謝します」そんな風に、瞑想的にただこの一瞬をお互いに感じていられるなんて、タイマッサージを学ぶことは何度も何度もラブレターを書き直す様な作業だなと思ったりする。自分自身の真実に誠実に忠実であるところから始まる、どうやったら届くかと思い巡らせる思いやりの力が必要になる、正解も不正解もないけれど純粋でいればいられる程、感動し、共有の密度は濃くなる。

 

何度も何度も何度も何度も書き直して、結局渡さないんだけど、隣に座っただけで完了してしまう。そんな愛もあるんじゃないかな、究極の癒しはそこだろうなと思う。

そして、ばあちゃんとか、なついてくれた子供とか、究極の癒しの実践者は実は身近なあちこちにいる。

 

手の不思議②

『手で触れたものと同じ場所に意識が向くようにできている』

という武術のしくみをあらえびす東出融さんの身体ワークで体験し「おおおーー!すごい!」と感動。そしてその原理はそのまま、ヴィパッサナー瞑想にもタイマッサージにも応用することができて何度も感動した。

比較的感覚を認識しにくいところがあれば、頭ではなく手の平でまるで今誰かを施術しているかのように思い出す。ここも、あそこも、、すごいすごいすごい!武術すごい!体すごい!と手の秘密を体験から発見し、私が瞑想を始めた当初から体のあちこちに意識を向けやすかったのは、ずっと人の体を触る仕事をしてきたからか、と納得した。

 

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因みに私は東出さんのお話会&身体ワークに参加して、目から鱗が落ち、『いのちのもり響命プロジェクト』という水源を有する里山をハブにこれからの時代に必要な自立した経済と教育・福祉の仕組みを創出する活動のサポーターになりました。手汲みの伏流水を送ってもらっています。

 

タイマッサージをする、他者に触れているのだけど、それは自分自身に触れ癒していっているということでもある。昨日書いた「目の前にいる人に、とてもとても大切な人として向き合う」という事は全て自分に巡ってくる。その循環は肉体の繋がりでもあり、意識の繋がりでもある。愛を持って人に接すること、それは自分を愛する練習でもあるのだと思う。

 

人や人体模型に触る機会、、、今すぐにないよ!という人は、布団を適当に丸めたり、抱き枕や大きなぬいぐるみをハグしてみて!ぜひ今すぐに!自分の腕や背中にも包み込まれている感覚をみつけられるはず!これさえ知っていれば、火星に置いてきぼりになっても大丈夫。笑

ものすごい足音、ありえないくしゃみ

振動数、周波数の違いなのかなと推測しているが、破裂、威圧、跳ね返す、突き刺すなどの性質を持った動きから出る気配がとても痛い。(無配慮な足音、咳、くしゃみ、イライラや不満etc、、、)

痛いという表現ともまた違う気もするのだけど、映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」の主人公の少年のような感覚。

 

それは、静かにゆらゆらとホログラムが舞うスノードームの中をビュン、ビューンと泳ぎ回る熱帯魚がいる感じ。魚もホログラムも同時に抵抗を感じているに違いない。魚はスピードダウンしたように感じるし、ホログラムは突風に巻き込まれたように飛び去る。速度や周期が違いすぎるものが近づくため(調和するため)には、距離感やできる限りの時間をかける余裕が必要なのだと思う。

 

この「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」現象を反転活用する実験をしている。

 

施術時、目の前にいる存在を「この人はとてもとても大切な人だ」という感覚で対する、というもの。恋人、友人、家族、こども、恩人、頭も身も心もそう錯覚して施術をする。

からだの部分や、呼吸に緊張がある場合は、私が先に緩んでみる。めっちゃトイレ我慢しててやっと行けた出せたハァ~。くらいの緩み。(この先に緩むという感覚は合気道の稽古からヒントを得たもの)

 

存在、気配が影響を与え合うというなら私の密かな実験も少なからず効果を発揮している、んじゃないかな~と続けている。(個人的にはこの効果は絶大だと確信している。)そして、こうゆう事を試しあえるパートナーが近くにいたら良いのにな~といつも思っている。

 

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」もとても好きな映画です。

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100日行4日目

着実にこの実験を続けていくと100日目は5月14日。

その一週間前にはまた一つ年をとり、その一週間後には遂にギリシャへ旅立つ。

 

そう!先月チケットを購入!

 

ギリシャサンシャインハウスに行きたい。そこで少しの間ウーフをしてDavidのコースを受講したい、しよう!それはとても良い気がする!と「次に会うのは海外のどこかだと思うよ」そう昨年3月コース終了時に伝えたものの、何のあてもなく、その年の1月に『振り出しに戻る(車に乗るだけの財産を選択できます)』のマス目に行き合ってしまってからは、仕事もお金も家もない予定も計画も立てようがない、つまり全て自由。それは自由帳ですらない。「ここの倉庫にあるものなら何でも使って」と薄暗い部屋から、画用紙なのか模造紙なのか裏紙なのか、何かを探し選び取るところから始め直していたので、『まず、チケットだけはある!』という今に自分でも驚いている。

 

「あるもの」を数えてみる。

何度も訪ねたい人や場所があって、元気かな?と思い巡らせる人が増えて、様々なピンチに泣いた日も葛藤もあったから認識できる”弱さ”もきっと増えた、ここで暮らしてみたいという候補地も浮かび上がってきたし、新しい事を始める時に心を奮い立たせてくれる”もう進み始めている人”の背中にもたくさん出会えた、そしてタイマッサージをしながら英語必須な環境にいること。自分自身も取り巻く状況もどんどん変化して、ずいぶん遠くまできた様にも感じるし、5歳くらいから何にも変わっていないようにも感じる。

「夢(目標)に向かっているんだね、頑張っているね」と言われた時に「そうではないんですが、、」と小さな違和感を覚えるのは、何かを目指したり辿り着こうとしているわけではなくて私自身(あなた自身、全て)が変化そのもので、その【変化:ある物事それまでとは違う状態・性質になること。変わること。】を感じる為には【今、私そのもの】を感じて認識している必要がある。だからずっと【今】にいる事の連続をしているだけなんです。

 

いうなれば、現在地点A(現状)から目的地点B(こうなりたいと描くもの)に向かって進んでBに到達した時に夢が現実となるのではなく

 

空間B(こう在りたいとありありと想像できる気配)に向かう為に風向き、季節の巡り、太陽月星の運行、たくさんのデータを収集して現在地(今の私)Pを割り出し、Bとの関係性を少しづつ親密にしていく様な感覚。

 

移動点Pはいつも夢の中だよ*\(^^)/*

 

 

***

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ

ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり

誰もみな手を振ってしばし別れる

***

生まれて生きて死んでいく生命循環の断片で一緒にいられる時間の長さやどんな関係かとかよりも、一瞬でも時間が交わることの奇跡に感動し続けたい。

奮えるようなその一瞬を分かち合い、大切にするために、『あなた(景色、一瞬)と出会えて「幸せです」「光栄です」「愛しています」』を表現するために、言葉や行為や創作するという能力を使いたい。

もう肉体を持たない存在達が一生懸命呼び掛けていることって

 

「愛しているよ」

「生きているうちに(ここへ)来たかった」

「あなたと出会えて幸せだったよ」

 

そんな短い一言だったりする。それらを感じてしまっている私は、もう、私の生き方しかできないだろうと思う。誰にどんな物差しを当てられたとしても、自分に正直にしか生きられない。移動によって別れと出会いが続くとどうしても会話のキャッチボール的なもので世間的な事を聞かれる。結婚や子供の願望は、家族兄弟は、墓は、、

 

プーライ!!!

 

このブログ100日行はきっと、「私ちょっと頭おかしいから」と冗談半分で前置きすることによって物差しトークからいち早く脱出しようとしていた、自己卑下を卒業するための行なんだと思う。わたし、おかしかったとしても素敵だもん!笑

そして感性、感覚の鋭さによって萎縮してしまったり、今ある社会に適応しにくい私よりも若い(魂的には進化成熟している)人たちに「大丈夫だよ。こんな私も楽しく生きているから。」とささやかにエールを贈り続ける為にあるんだと思う。