poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

100日行4日目

着実にこの実験を続けていくと100日目は5月14日。

その一週間前にはまた一つ年をとり、その一週間後には遂にギリシャへ旅立つ。

 

そう!先月チケットを購入!

 

ギリシャサンシャインハウスに行きたい。そこで少しの間ウーフをしてDavidのコースを受講したい、しよう!それはとても良い気がする!と「次に会うのは海外のどこかだと思うよ」そう昨年3月コース終了時に伝えたものの、何のあてもなく、その年の1月に『振り出しに戻る(車に乗るだけの財産を選択できます)』のマス目に行き合ってしまってからは、仕事もお金も家もない予定も計画も立てようがない、つまり全て自由。それは自由帳ですらない。「ここの倉庫にあるものなら何でも使って」と薄暗い部屋から、画用紙なのか模造紙なのか裏紙なのか、何かを探し選び取るところから始め直していたので、『まず、チケットだけはある!』という今に自分でも驚いている。

 

「あるもの」を数えてみる。

何度も訪ねたい人や場所があって、元気かな?と思い巡らせる人が増えて、様々なピンチに泣いた日も葛藤もあったから認識できる”弱さ”もきっと増えた、ここで暮らしてみたいという候補地も浮かび上がってきたし、新しい事を始める時に心を奮い立たせてくれる”もう進み始めている人”の背中にもたくさん出会えた、そしてタイマッサージをしながら英語必須な環境にいること。自分自身も取り巻く状況もどんどん変化して、ずいぶん遠くまできた様にも感じるし、5歳くらいから何にも変わっていないようにも感じる。

「夢(目標)に向かっているんだね、頑張っているね」と言われた時に「そうではないんですが、、」と小さな違和感を覚えるのは、何かを目指したり辿り着こうとしているわけではなくて私自身(あなた自身、全て)が変化そのもので、その【変化:ある物事それまでとは違う状態・性質になること。変わること。】を感じる為には【今、私そのもの】を感じて認識している必要がある。だからずっと【今】にいる事の連続をしているだけなんです。

 

いうなれば、現在地点A(現状)から目的地点B(こうなりたいと描くもの)に向かって進んでBに到達した時に夢が現実となるのではなく

 

空間B(こう在りたいとありありと想像できる気配)に向かう為に風向き、季節の巡り、太陽月星の運行、たくさんのデータを収集して現在地(今の私)Pを割り出し、Bとの関係性を少しづつ親密にしていく様な感覚。

 

移動点Pはいつも夢の中だよ*\(^^)/*

 

 

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遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ

ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり

誰もみな手を振ってしばし別れる

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生まれて生きて死んでいく生命循環の断片で一緒にいられる時間の長さやどんな関係かとかよりも、一瞬でも時間が交わることの奇跡に感動し続けたい。

奮えるようなその一瞬を分かち合い、大切にするために、『あなた(景色、一瞬)と出会えて「幸せです」「光栄です」「愛しています」』を表現するために、言葉や行為や創作するという能力を使いたい。

もう肉体を持たない存在達が一生懸命呼び掛けていることって

 

「愛しているよ」

「生きているうちに(ここへ)来たかった」

「あなたと出会えて幸せだったよ」

 

そんな短い一言だったりする。それらを感じてしまっている私は、もう、私の生き方しかできないだろうと思う。誰にどんな物差しを当てられたとしても、自分に正直にしか生きられない。移動によって別れと出会いが続くとどうしても会話のキャッチボール的なもので世間的な事を聞かれる。結婚や子供の願望は、家族兄弟は、墓は、、

 

プーライ!!!

 

このブログ100日行はきっと、「私ちょっと頭おかしいから」と冗談半分で前置きすることによって物差しトークからいち早く脱出しようとしていた、自己卑下を卒業するための行なんだと思う。わたし、おかしかったとしても素敵だもん!笑

そして感性、感覚の鋭さによって萎縮してしまったり、今ある社会に適応しにくい私よりも若い(魂的には進化成熟している)人たちに「大丈夫だよ。こんな私も楽しく生きているから。」とささやかにエールを贈り続ける為にあるんだと思う。