poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

鐘に耳を澄ます

Hearing the Bell

Listen, listen,

this wonderful sound

brings me back

to my true self.

 

鐘に耳を澄ます

聴こえる 聴こえる

この素晴らしい鐘の音が

本来の私に

連れ戻してくれる

 

(Thich Nhat Hanh)

 

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【海から見る伊豆半島環境財団とピースボートがコーディネートする船旅 PEACE&GREEN BOATでのお仕事から帰宅しました。

 

数年ぶりの船旅、最も印象的だった出来事は広島原爆の日の午前8時15分を瀬戸内海の海上、呉と松山のちょうど間辺りで迎えたことだった。

 

目を閉じる

強い風と日差しを感じる

太く重く長い船の汽笛

 

大きかった音は遠く広がり

離れて行ってしまう

 

感じとれる最後の最後まで

その振動を受け入れようとする

 

心もどこまでも静かになる

知らぬ間に涙がこぼれる

 

***

意識や思考とは無関係にからだが反応する(涙が出る、鳥肌が立つ、呼吸が深くなる等々)時、生命の本質的な部分に触れているのだと解釈している。私という今世の生では経験していない事を全身全霊で悲しんだり、世界をより良くする生き方を実践していくことを自分自身(と自分を成り立たせてくれている全ての生命に)に誓い直したり、自我を超えて何かを願ったり、、黙祷を捧げるひとときが「本来の私」が備える平穏な心と慈悲に触れさせてくれ、その印として涙が現れたのだと思う。 

******

 鐘の音を耳にすると、響渡り、安定し、消えゆくその音と私たちの心はひとつとなります。鐘の助けによって、心は集中し、今この瞬間に戻ります。マインドフルネスの鐘は、私たちを自分へと呼び戻すブッダの声です。

 一つの音に敬意を払い、考えることも話すこともやめて、自分とつながり、呼吸しながら微笑んでください。このブッタが、本来の家へといざなうのです。

 鐘の音に耳を澄ませない限り、同じくブッタからの呼び声であるそのほかの様々な音も聴くことはできません。風の鳴る音、鳥のさえずり、赤ちゃんの泣き声、車のエンジンの音でさえ同様です。鐘の調べは、ドアのチャイムの響きや電話の着信音にも宿ります。皆、「本来の私」に戻ることに気づかせてくれる、ブッダの呼び声なのです。

 「本来の私」とはどういったものでしょうか?本来の私は、私以外の要素からできています。そのように考えることができれば、「自分」という言葉に混乱させられることはありません。鐘を聴く実践は、意識的な呼吸の実践へと私たちを導き、あらゆるものの相互依存(縁起)の本質に目を開かせてくれます。

『今このとき、すばらしいとき』 ティク・ナット・ハン [著]

 

***

私が暮らしやタイマッサージを通して、「在り方」や「感じる力」に直面し続け、問い続け、確かめ続けようとする実践の日々とその姿勢は、私なりの平和表現で平和行動である。と、ひとりひっそり志を確かにした。

 

楽になるとか、美しくなるとか、自分を満たすとか、もちろんそれはそうなんだけど、

生命体レベルの喜びに向かうという、マクロな視点も携えてお仕事していこう。

そしてそろそろ、始めようと思う。

 

私は『慈悲の家』をつくりたい。

暮らしがある「場」。お客さんではなく、掃除も家の修繕も畑仕事も人付き合いも、自分ごととしてそれぞれの滞在者が愛を持って関わる「家」。埋め合わせの音楽も暇つぶしのお喋りも外側に示すための装飾も、うるさいものから離れられる静かな「時間」。

居心地の悪さしか世界に感じられなくなったとき、とにかく逃げ出したいときに、安心感が自分に戻ってくるまでいられる心の「洞窟」。

 

家を探そうと思います。(大きめ、自然の中、静かな立地)

家と同じくらいの敷地面積の畑も。(家から車を使わなくても通える距離。隣接してるといいな)

 

家を持っている、管理してほしい物件がある、そんな知り合いがいて、、、

お心当たりのある方、ぜひ連絡ください。

また、慈悲の家と似たようなことをすでに始めている方、計画や興味がある方も、

連絡ください。