poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

31℃快晴、エヴィア島の木陰から

ヤサス!(こんにちは!)

100日続けるつもりだったブログを100日程放置しましたが、私は元気にギリシアの風に吹かれています。

冬から春へ、季節と住まいと仕事の移行期間に予定変更が続き、変化と取捨選択の荒波の中にいたり、ちょっとしたストーカーの不安があったりで、ブログ書くより今は坐りたい!とできる限り内側に向かう時間を増やしていました。

北アルプスからギリシアまでには、十歳程若い方に囲まれて繋ぎの労働!(出勤中抜け出勤退勤出勤中抜け出勤退勤出勤中抜け出勤退勤、やや白眼も剥きながら出勤中抜け出勤退勤!の日々を過ごしながら人生装備のアップデート)契約満了と同時に車を売却しつつ京都のダンマセンターへ向かう。その後沖縄へ飛び、石垣島へ飛び、竹富島に渡り、、今はギリシアのエヴィア島にあるサンシャインハウスというタイマッサージ等のボディワークの教育やヨガ、リトリートの為の施設に滞在して丁度10日目になります。(旅人になってからは丁度一ヶ月)

f:id:sarume3note:20180610000755j:plain

パティオや部屋の掃除、キッチンワークなどの働きと食事&寝床の交換、フリーアコモデーションで滞在。因みに今週は、スイス、ハンガリー、ベルギー、日本(私)の4人がボランティアをしています。

サンシャインハウスのホームページ↓
http://www.thaimassage.gr


冬から密度濃く働いた(やや働き過ぎた)ご褒美に、誕生日のプレゼントに、ヴィパッサナー瞑想の10日間コースへ参加し(前世が終わる時によほどもっともっと修行したかった・・・と渇望したんだと思う)。繋ぎのバイトのシフトがキツキツでこれぞじゃぱんおもてなし産業!の激流を乗り切る中で、『想定外の働きは想定外の事に使ってみよう!』と友人を訪ねて初めての沖縄、八重山エリア
への旅を計画。RPGかの様に2018年を遊牧しております。


RPG的イベントとしては、

・移住の予定を一度白紙に戻す
・車売却目前にしてラジエーター交換
・毎日修験道ニ往復(これが引き金。H13年式のプレオも前世は修行僧説浮上)
・ウルトラ断捨離(『据』『捨』赤と青の壁にアイテムを抱えながら突っ込む。結果段ボール3箱をSumallyPocketに据)
・優良アイテムの購入(機内持ち込みスーツケース、ヘッドライト、アウトドア用カセットコンロ)
・これがあればまずは暮らせる防災兼用BOXの作成
・三十年来の友人(パンダ)のクリーニングと綿交換を業者に依頼
・冒険の末に辿り着いだ秘境ビーチでヌーディストおじさん出現。気作に島の情報をくれながらいつの間にか裸に。何もしないから撮ってくれと言われる。(裸で泳ぐ快感は知っているが仲間だと思われたくないので冷静に挨拶と注意をして退散。)
竹富島の夕陽と夜

f:id:sarume3note:20180610012138j:plain


そんなこんなで、昨年秋から計画調整をしてきたサンシャインハウス滞在が叶っている時間と思いと行動の不思議さを感じつつ、志は更にその先へ向かっています。ここに来た動機は自分がこれから作っていきたい『体と暮らしを整える家』のより具体的なヒントやアイディアを得る為に実体験すること。オステオタイのコースを受けること。この二つ。

ここに来てから新鮮な発見だったのは、日本特有の病なのかな?と思っていた事が、今の人間社会全体に共通していえるのかも、、と自分の捉え方や考え方の柵に気づけた事。

抑圧の連鎖、怖れや不安と逃避、尊重と調和点など日々のふとした事に考えの糸口と新たな視点があります。

スマホからで不便だけど、がんばってまた更新します。

世界中から人が集まるスキー場で働いてみて、感じた事考えた事①

何だかあっという間に毎日が過ぎていくので2017‐2018冬!を白馬で過ごして観たもの感じたこと考えた事を記録しておこうと思う。

 

f:id:sarume3note:20180305131018j:plain


ニセコから白馬へ

 雪山で働くのはおそらく八年ぶり、人の体に触れる、ボディーワークの仕事を初めてしたのが実は八年前のスキーリゾートだった。早朝から夜遅くまで先輩やオーナーさんに付き合っていただいて一週間の缶詰研修をするも、私のデビュー戦は毛むくじゃらで筋肉質なネグロイド系ニューヨーカーの男性だった。その当時既に、ニセコには大型のコンドミニアムがいくつも建っていて3ベッドルームのお部屋なんかにも訪問したりしていちいち別世界に驚いていた。それ以来ニセコには行っていないのでその後の街や山や人の様子は知らないが、大きな建物が無くなったり、新に建ったりしたと風の噂に聞いている。

 白馬に来ているお客さんと話していても「ニセコはほとんどオーストラリアだから」「長野は素朴な日本らしさも楽しめるからいいね」「東京や京都にも行きやすくて便利だよね」「白馬は最高、また絶対くるよ」と、白馬いいね!の声をオーストラリアからだけではなく色んな国の人から聞く。一月前半の雪が少ないタイミングでは「ニセコは外国人が多すぎて、ものの数時間で新雪がなくなるって友達に聞いているんだけど、どう思う?白馬に留まるか、北海道に飛ぶか、、、」と北欧圏からJAPOWを求めて来た迷えるおじさんスキーヤーに「富良野」という第三案を提案してみたら、即採用、すぐにホテルをチェックアウトして飛び出していった。(無事に辿り尽き、宿もとれ、楽しめただろうか、おじさん。。)ミョオコー、ノザワ、シガコーゲン、白馬やニセコ以外にも山の名前は知られているし、バックカントリーを楽しむ人やサーフトリップが好きな感じの旅慣れた人からは「ルスツ、キロロ、アサリ」など札幌小樽近郊のスキー場の名前も出てくる。それくらい日本の山や雪はウィンタースポーツやアウトドアをする世界中の人々にとって価値のあるものみたいだ。そして日本へのスキー&スノーボード旅行、”ニセコ以外で”という条件で計画をする人は多く、節約旅の若年層~富裕層ファミリー、気ままな(滑ることがメインの)一人旅、年齢もグループの大小にも傾向はない様に感じる。つまり、宿でも飲食店でも大きくいうと地域単位でも、ニーズを拾う力と、どんな人達にどうアプローチするかを考え実行すれば、今あるもので商売をしていくことが充分にできる。流れを感じて少し先を読む力、変わっていく柔軟性、経営者や働く人たち、住人の考え・発想・行動の新陳代謝は外から観ていているだけでもだいたい察してしまうものなんだと思う。(この観察はここ白馬に限った話ではなく、個人、組織、会社、地域など全ての単位で観ることができる。何をどんな規模で行っているかではない、そのもの自身と外部との関わりに調和が取れ巡っている状態であれば人にも店にも組織にも地域にも『元気』を感じる。)


 私は、自然の循環と人間の暮らし(生命活動、経済活動、精神活動など)が少しでも調和していくにはどうしたら良いかに興味がある。個人の生活レベルの選択から、もう少し広い範囲の地域や共同体で取り組むこと、いくつかのスケールで段階を追って”人間が地球で生きていく方法”のシフトチェンジを淡々と進める時期に来ていると思っている。調和やバランスを大切にするために、ビジネスを利用する必要がある。ぼーっとしている場合ではない、世界を直視しよう。

「注意」というのは、私たちが知覚したいと思うものを区別し、それだけに焦点を当てる能力のことである。私たちは同時に何百万もの物事を感受しているが、注意力を使えば、私たちが知覚したいと望むものを心の表面に保持できるのである。いっぽう、大人たちは、私たちの注意を引きつけ、繰り返し、私たちの心に情報を流し込むことができる。私たちが知っていること全ては、こうして学習されるのである。

The Four Agreements / DON MIGUEL RUIZ

 

 グローバルな投資家が日本の自然に着目して水源を含む土地を所有する動きがずっと昔から起きていた。少し表層的な資源である”日本の上質な雪”も人とお金の流れに関わるようになってきた。そんな今、その土地に住む人、その土地を愛するひと、その土地に魅了された人の舵取りが必要になってきたということだと思う。

 

If you really think the enviroment is less important than the economy

try holding your breath while you count your money.

 

もし経済の方が環境よりも大事だと本当に思っているなら、

お金を数えている間、息を止めてごらん。

 

***

日ごろの考察を言語化する、構成を考えながら文章にしていくのはとても時間がかかる。うすうす気づいていたけれど、私の脳みそ回路は綺麗なロジックツリーにはなっていないようだ。無重力空間に考えや観察が浮かんでいて、何かのきっかけ(閃き)によって一気に立体的に回路が繋がる。系統立てられた話し方や考え方や整理の仕方が得意で慣れている人からすると、突拍子もないところへ話が飛ぶように感じられるみたいだ。今回は根気を振り絞って、②、③と続けていく!と宣言しておきます。

***

次回予告

 ▶Freeride World Tour Hakuba, 2018 Japanに夢中

news.yahoo.co.jp

 

 

『誰でも何かが足らんぐらいで この世界に居場所はそうそう のうなりゃせんよ』

実はこの一か月、あまり調子が良くなかった。

仕事が忙しかったのもあるし、なんだか良くわからないトラブルによって他人の感情や粗い振動の影響を受けていたこともあるし、過去世からの再会にときめいて純粋な愛と執着との違いを自己観察していたこともあると思う。

 

何でもない日常の毎瞬が奇跡だと感じられる豊かさと

生まれて来たことの意味や目的に行動や生活を添わせ命を活かすベストを尽くす事

それが完全に一致するまで、ゆらゆらと調整していくのだろうと思う。

自分に正直に正しい言葉をつかうことを頼りに。

 

 

『誰でも何かが足らんぐらいで

この世界に居場所はそうそう のうなりゃせんよ』

 

混沌の中で揺らぎながら淡々と命を燃やした人を描いた映画「この世界の片隅に

遊郭で生活をするリンが主人公すずに向けたこの台詞が特に好きだ。

konosekai.jp

戦地に向かう幼馴染水原が言った『普通で、まともでおってくれ』

いつ死ぬか、何のために戦うのか、慣れたくないものにも慣れていく自分の変化(というか麻痺)、生きていてもどんな目に合うかわからない、戦況、価値、街、激しく変わり続けることだけが変わらない時代。普通でまともで、こどもの頃から変わらない部分を持ち続けているすずの存在が微かな希望となり、記憶やその集合体である心の中に居心地を求めたのかもしれない。

 

『普通』という言葉はあまりにも多くのものを含んでいる。

個人の経験や生活範囲の中で『普通』なことを【the普通】、未体験やちょっとした推測や普遍的なこと全てを含めているつもりのときだけ【普通】と言うようにしたらどうだろう。『私の常識は他人の非常識・未常識』というギャップに出くわす体験の蓄積が視点を増やし、対話を可能にし、思いやる心とその余裕を育んでくれるのではと思う。

 

普通なんてどこにも無いんだから、

水原の様に、願いや希望として、最高の誉め言葉として、安らげる間として『普通』という言葉を再定義したい。

 

***

空襲で亡くなった姪っ子の『笑顔の器』として生きていくことを決めたすず。

 

宇宙で唯一の存在である私(そして全ての個人)は

現世の自分以外の記憶や祈りをも繋いでいく記憶の器

 

初めてなのに懐かしい景色

何かを思い出しそうな風の感触が

変わらない山並み

人間には創り出せない森羅万象が

もう会えない人たちとの思い出が

 

困難や非情を越える、生き続ける力を

助けてくれているように思う。

 

だから大丈夫。

腰・背中・肩が辛い方は、手をパーにしたまま一口につき30回以上噛んで唾液を出してください。

もうこれは、心からのお願い。

腸の事を考える時に、ソーセージの肉詰め作業を思い浮かべてはいけない。長い一本のチューブがひと塊になれるように(筋子の様に!)膜でまとめられていて背骨に寄り添っている。人間を立て切りにするとこんな感じらしい。

f:id:sarume3note:20180228233853p:plain

ネットから拾ってきました。

 

更に専門的な説明↓

youtu.be

 

 

内臓と体の働きに不調和が起きている時の、過剰だったり処理しきれていないもの匂いをある程度嗅ぎ分ける鼻を持っている。同じ空間に入ってきただけで気づくこともあるし、近い距離になってわかるとき、施術中リラックスしてきて深い呼吸とともに判明することもある。腰、背中の辛さを訴える人は同じ匂いがして、反射的に力んでしまう方の割合が高い。

 

 

●痛みなどを含む大なり小なりの外部刺激から身を守ろうと無意識に力む。

●交感神経優位な時間が長い(ストレスに対抗しようとしてしまいがち)

●消化機能(副交感神経優位の時に活発になる)の減退、リラックスしている時間が短い

●内臓の動きが活発ではない(便秘)

●背骨の可動域を阻害(腰痛・背中痛)

●背中が広がるような伸びやかな呼吸ができない(交換神経優位になる浅く短い呼吸になりがち)

●横隔膜の動きに制限がかかる(呼吸による自力内臓マッサージが出来ない)

 

このスパイラルから抜け出すために、

●気づいた時はいつも手をパーに(無意識な力みを減らす)

●意識的に息を止めなでいるようにする、気づいたらゆっくり吐く癖をつけてみる(特に力を使うとき、負荷やストレスがかかている最中)

●よく噛む、唾液を出す、消化を助ける

●食べない時間、空腹な時間を作る

 

たまに、『痛みに耐える』が強い癖になっていて、押したり動かしたりしようとする度にグッと力をいれてバリアをはってくる人がいる。

もう、その度に私の頭の中にはエドはるみと田原俊彦が出てくるのよ~。

 

 グーググーググー、グーググーググー、グーググーググーグゥー!!!

 

いかに呼吸が緊張を状態を一瞬でつくることができるか、試しにトシちゃんと一緒にハッとしてグッとくる実験を。(血圧上げたい人はエドはるみの方でもOK)

 

そして体や心の状態を観察してみて欲しい。

 

 

youtu.be

※ちなみにバックダンサー、ジャPAニーズのダンスは肩コリ解消に最適。

 

言葉の指示やガイドではなく力みを緩めていく方法など、、身体精神の研究が趣味です。何の評価も分類もしなければ、恋のドキドキも、不安のドキドキも、緊張のドキドキも体で起きている化学反応はほぼ一緒なのかもしれない。嫌な事にハッとしてグッと力を入れてしまったとしても、俯瞰する自分がマインドのスイッチを入れ替えれば、ときめきにハッとしてGoodな身体感覚でいられるかもしれない。(今度ストレスに晒された時に試してみよう、そしてまた報告します。)

今日の空

www.instagram.com

白馬生活も残り一か月を切った。

私は相変わらず、一か月先にどこで何をしているかわからない暮らしをしている。数年前までは”一年後にどこで何をしているか”だったのにどんどんスパンが短くなってしまった。確か半年前までは『せめて三か月先位はわかっていたいな~』なんて言っていたのだけど、慣れてしまった。

不安とお任せのバランスが取れて来たというか、コントロール外に面白いことがあると知ってしまったというか、もがいたりあがくほど面倒な事が起こることも経験してしまったというか。とにかく、今はただ大きな目的地を静か心に描いて、細かい事は成り行きに任せている。そんなしなやかになったのも、「誰にどう思われるか」が気にならなくなったから。

普通とか、恥ずかしいとか、情けないとか、劣っているとか優っているとか、こうあるべきとか、こうすべきとか、誰かや何かと比較することによって安定しようとする心の働きがもうほとんど無くなってきているのだと思う。今の連続。

 

恐らくこのまわりを気にしなくて良い安心感は家族に別れを告げたことも大きく関係している。

ゲームの「ポケモン」ってあるでしょ。受験や就職で戦っていたのは、私じゃなくて私の「ポケモン(社会に適応するためにつくられた自分)」だったんです。成功しても、それは私ではなく私の「ポケモン」が成功しているだけなので、うれしくないんです。私だけでなく、ほとんどの人がそうなんです。子どもは親の「ポケモン」だし、戦っているのは、その子自身の「ポケモン」なんです。

 

 ***

私がいつも心がけているのは、どんな時も自分の感覚に気が付いている(意識を向けている)ということ。キーボードをたたいている今も。

首が固くて少し熱を発生させているような硬さだなとか、呼吸のリズムや胸郭全体の広がり方とか、足の裏はいつもビリビリするとか、些細な感覚。

 

意識と現象の仕組みは面白いほどシンプルに出来ている。

【感覚】と【感情】が結びついて潜在意識下に蓄積される。

ある一定量、その意識が溜まると顕在化する。

【感覚】と【感情】が結びつかないように、それぞれに気づき観ていることができれば(つまり常に今にいることができれば)、意図しない【潜在意識】の集合体は蓄積されないので、意図しない事が顕在化されることはなくなる。

それどころか、この仕組みを再利用して、どんな感覚の時も(疲労や痛みなどの快とは違うものだとしても)「平穏」や「愛で満たされた状態」「人の幸せを心から願う心」を保つ(思い出す)ことができれば、それが潜在意識に蓄積されて、のちのち顕在化する。

 

さらにさらに面白いのは、私たちすべてが集合無意識として繋がっているということ。

つまり、自分が修行すれば大きなインパクトではなくとも集合無意識に働きかけることができる。これってすごい!そう感動してから余計に、心配したり世間を気にすることが減っていったように思う。

 

羯諦羯諦

行こう、行こう、

 

波羅羯諦 

とらわれのない世界へ行こう

 

波羅僧羯諦

素晴らしい所へ行こう

 

菩提娑婆訶

全ての人に幸あれ。

 

「菩提娑婆訶」生きとし生ける全てのものの幸せを祈る為に生まれてきたのなら、

私の生活やプロジェクトがうまく行こうが失敗しようが、形になってもならなくても、困難に見舞われても、人に誤解されても、つまりどうしようもない自分でしかいられなかったとしても、「菩提娑婆訶」を感じていさえすれば〇なのだ。道がつづいていくだけだから、失敗という概念も無いのだと思う。

 

 

今日は、山がとても美しくて、空が青くて、こんな景色を見る事が出来て幸せだなと心が潤った。

圧倒的な自然を観て感じるこの瞬間を大切な人と共有できたらもっと良いのに、、と、この世にいたりいなかったりする、私の心を潤す大切な人達のことも想い、少し切なくなった。どんなに離れていても関係しているという繋がりの感覚と、いつも独りだという個の感覚が共存している。

寂しかったけど、嘆くでもなく、感動したけれど昂るわけでもなく、

全ての生きものの幸せを口ずさんだ。

 

***

 

私さえいれば「慈悲の家」は今も完成されている。(と、自分では思っている)

だからこそ、その先に進む為に

 

少し大がかりな改修も可能な家と

改修&運転資金(の調達方法)と

0から1が始めるための仲間を、強く求めている。

居場所は自分の中にある

文章を書くのがおっくうになっている原因に、脳の作業領域バランス以外に実はもう一つ心当たりがあって、、”今のわたし自身が構成されるまでの背景について”

これから作っていくコンセプトハウスのベース、種、原点に大きく関わることなので、書かないでいるといつもモヤモヤと出口が詰まってします。もう一歩先へ進む為に、少しづつでも書いてみようと思う。

 

『自分の居場所は自分の中にある』

これは、子供の頃からずっとずっと居場所を探し続けて、数年前にやっと辿り着いた答え。

 

感覚が敏感で繊細で、まわりの人の感情や考えていることその場の状況を察知する能力が高かったので意識が外側に向きやすく、自分と他者のどちらを優先していいのか境界線が曖昧だったように思う。知覚から情報を得ている、良く観て聴く性質でもあったので、意図を読むことも得意だった。勉強ができる方だったのだけれども、それは「ここで学習して欲しいと教科書や先生が意図していること」指導目標を読み取っていたのでテストが始まる直線に、出そうなところをパラパラと眺めるだけでかなり良い結果を出せる、そんな子供だった。そんな子供だったからもちろん、『努力をして良い結果を得る』ことが良いという集団無意識も察知していたし、多くの人が描くわかりやすい努力だけが認められる世界と、その通りの努力ができる人を冷ややかに見ていた。

 

そんな私はアルバイトができる年齢になるとすぐにお金を稼ぐことに夢中になった。経済的に不安定だったので、自分が自立するため、居心地の良くない家を出ていくため、お金でギスギスしている家の空気が少しでも和らぐように、母の負担が減るように、色んな理由でとにかく働いた。アルバイトにたくさんの時間を使っても、私は勉強ができてしまっていた事で、私はまわりのノホホン年相応の暮らしをしている人達を馬鹿にし、羨ましく思っていた。

 

そんな中身の擦れた高校生時代にお金と家庭に関する問題が起きて、私には今もその頃の一時期の記憶が全くない。その後専門学生になり、旅をして、仕事をして、留学や海外生活を送り、日本に戻り、自由に仕事を選び、自立(仮)を謳歌していた時に、人生で最も失いたくなかった人が亡くなった。所々でうまく見過ごしてきた自分の中の歪、が一気に不安定になった。そこで数か月何もしないで過ごす呑気さと経済的(と見せかけた精神の)余裕が無かったので、私は精神科に通うようになり強制的に精神薬処方が始まった。

 

人に頼ることが出来ない、助けて欲しいのに依存することが怖い、お金を払って割り切って精神科の先生の前と独りの時だけありのままに泣いて感情を出して、他ではうつ病だということを必死に隠したり、友人の前では大量の薬を飲む自分をネタのように扱いまあまあの自虐をしたり、「別に」と無気力な状態でいた。そして2年以上、毎晩、もう二度と目を覚まさない事を願って息を止めていた。苦しくて苦しくて、でも精神力で息を止めきることは結局できなくて毎晩毎晩絶望していた。今もとても深い瞑想に入った時にやっと喉が固く締まっていく感覚が現れる。(あの頃を再体験し自分を癒すにはまだまだまだまだかかりそうだ。)望みもしない処方薬から抜け出したくて、回復や減薬の兆しが見えない事に更に絶望して、最終的に自ら望んで閉鎖病棟に入った。そこに行けば、自分の居場所があると思っていた。

 

が、無かった。むしろ外の世界の住人の心の安定の為に、中の世界があるのではないか?と思うくらい、世界の全てが異常だということに気が付いた。管理される人間、管理する人間、評価される人間、評価する人間、問題を投影する人間、問題そのものになってしまう人間。

 

絶望しきったら色々どうでも良くなって、もう本当にいつ死んでも良いから、ここから先は全部「おまけ」にしようと思った。全部どうでも良くなったから、ちゃんとしていないととか社会復帰とかもどうでも良くなって、自力断薬を初めた。苦しくてかなり時間もかかった。がやめられた。断薬についてネットで調べる程、その離脱症状がドラッグ等の症状と一緒で(そして同じように扱われていて)やりたくてやったわけでもない処方薬中毒だったからこそ、とても悲しかったのを覚えている。

 

今はたぶんおまけの4、5年目

 

外側にはどこにも居場所はないし、居場所は自分で見つけるしかないと体験から答えに辿りついた私だからこそ、築ける空間があると信じている。

あなたがあなたの中に安らぎを見いだすまで、そばにいるよ。

 

それがコンセプトハウス『慈悲の家』の根っこ。

 

どんな形でどんな規模で始まり、どうビジネスになっていくか、そもそもの資金をどう集めるか、全くわからないけれど、とにかく0から1に進むには始めるしかない。

ちゃんとビジネスにして、困難な状況におかれた10代の子の為のシェルターとして機能できるようにしたい。

 

youtu.be

 

思考方法 ~The world needs all kinds of mind~

www.ted.com

 

自分の中だけでも思考方法はきっといくつかあって、状況に応じてどの方法をメインで使うか、どの選択肢を優先させるかを無意識に使い分けているのだと思う。

 

▶要求・目的を的確に把握する

▶選択可能な方法・ルート・手段の数

▶状況・環境を観察理解し

▶総合的に選択・決定・行動する

 

この能力には個人差がありデコボコしている。その差自体には問題はないのだけれど、

「個人差があるよね」と認識を共有できていないことは多く、そこから微妙なすれ違いや問題やストレスが発生していたりする。

 

そして、”実は私たちは毎日、毎瞬違う”ということを理解していた方が良い気がする。

脳の作業領域のバランスが違うと全く別人に感じられることもあるのではないかということ。更には、天候やホルモンバランスや日照時間や微妙な磁力の変化など、宇宙レベルの環境ともリンクしているということ。

 

最近、文章を構成するという作業がとてつもなく面倒臭くて、「なんだろう、ただブログを続ける、文章を書くというのが苦手なのかな?喋った方が楽だから、RadioTalkとか音声記録に切り替えてみようかな」なんて思いながら自分を観察していた。一つ気づいたのは感覚や知覚や直感はいつもより際立っているということ。論理的思考、感覚的思考の比重が変化していて、出来ないことを克服しようと負荷をかけるようにトレーニングすることも良いし、優位に働いている方を伸ばすように切り替えて、絵をかいたり瞑想したり短い詩的な言葉で表現する別の方法を試す、舵取り練習のチャンスでもある。と思った。

 

***

こうしていつも私は、色んな角度から自分と世界を観ている。

より自分に正直でいられる選択を大切にしているし、自分と他者がともに正直でいられる調和点(妥協点ではなく!)はいつも存在すると信じている。(そのためには登場人物が皆、自分に正直でいることを知っていることが必要なのだけど。)

 

この動画の6:20あたりから、情報の知覚認識と洞察力、カテゴリー別けについて話されている。私は洞察力と問題解決力に長けているが、この動画で言われている通り「カテゴリー別け」が苦手な人と認識を共有するには時間と根気が必要になり、結構疲れる。(のでたいがいは相手を理解する最大限の努力をして、理解されることは諦める。結果変な人、常識が無い、協調性がない調和を乱す発言をする、とみられることが多い。まあ悲しいししょうがない、慣れている。)

 

実はこの洞察、カテゴリー別け能力と問題解決行為の葛藤はボディワークでも同じく起きている。

 

観る、聴く、嗅ぐ、感じる、会話など、触れる以前の情報

自覚している症状と無自覚の部分、どう認識しているか、感情、、

ユラユラと動き続ける立体的なパズルの、どのピースから触れようか

言語ではなく知覚で考えている

 

これからしていきたいチャレンジは、施術を離れたところ、

つまりセルフケアの提案をするときにもより知覚的に伝えたり提供すること。

 

薬膳や中医学を取り入れたお惣菜をつくるとか、

呼吸法を楽しんでもらうためのきっかけを提供するとか、

 

それらすべてを含めたコンセプトシェアハウスの計画を進めています。

 

まだ形にはなっていませんが、実は私がどこかに住んでいるだけでそれは始まっている、とも言える。

 

私たちが生きる世界は今の連続だということ。

I have arrived, I am home

In the here and in the now.

I am solid, I am free

In the ultimate, I dwell

I have arived, I am home - Plum Village song (lyrics) - YouTube