poni uliuli

"さるめさんの手"という名前でボディワークをしています。

私が旅に出る理由

生きてることが辛いなら

悲しみをとくと見るがいい

悲しみはいつか一片の

お花みたいに咲くという

そっと伸ばした両の手で

摘み取るんじゃなく守るといい

 

何もないとこから

何もないとこへと

何もなかったように

巡る生命だから

 

『生きてることが辛いなら』御徒町凧

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ゆっくりと静かに心や体が今感じていることを見つめ

小さい子に接するように

「ああ、そっか」「そう感じたんだね」「今はどんな感じ?」

丁寧に柔らかなやり取りをしていく

 

複雑な感情と、強い反応の奥の奥にあるものは

とても単純だったりする。

 

不安がどんどん膨らんでいって ”怖かった”

世界から拒絶されている様な気がして ”寂しかった”

自分を受け止めてくれる人がいない気がして ”悲しかった”

 

多くの場合”弱さ”を補う為、自己防衛の為に固くなったり、意志的な反応をしたり、距離をとったりする様に思う。

 

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私は”弱さ”はただそのままの”弱さ”として持っていたい。

 

過剰な反応から離れて静かに悲しむその気配はとても美しい。

生きてる時間の儚さ、今この一瞬を肉体を持って生きているという事、その時の景色、匂い、温度、湿度、光、それら全てが関係性の中での奇跡の一瞬だということを思い知らせてくれる。

 

純粋な”悲しみ”から”慈しみ”は生まれ、

痛みや悲しみ挫折を経験するからこそ、優しくなれる。

『優』という漢字の通り、(つらいこと、憂いこと、喪)のただ傍にいることが優しさなのではないかと思う。

それは言葉や行為の優しさ以前の、存在の優しさ。

 

人に対しても自分自身に対しても、自然や世界の事象に対しても優しくありたい。

 

***

私も生きていることが辛い時がありました。長い年月、何度も。

子供のころからずっと居場所を探し続けて、それはどこにもないと知って絶望した。

絶望があったからこそ、自分の居場所を自分の中に創っていくという作業が否応なしに始まったのだけど、それはより良く生きる為の核心だろうと今は思っています。

 

一片の悲しみたちをそのまま抱えて生き続けた結果、その経験は慈しみや優しさの種となり芽が出ました。今年は花を咲かせたい。

 

これから、自然に囲まれた少し大きな家を2,3件ゲットして『慈悲の家』という会員制のコンドミニアムを創ろうと準備を進めています。

そこにはお掃除や食事、生活に関するシンプルなハウスルールがあって、自分と人の為に行う(つまり愛を表現体現するための)”手仕事”、静けさを持つための”空間”と”時間”があります。

生活や食事の習慣をより良くする為に、食事やお茶を個人に合わせて提供したり、リズミックブリージングという感覚を使った楽しい呼吸法を毎朝行ったり、必要な方には施術をしたり。私がこれまでの人生で経験してきたこと、実験研究してきたこと、自己投資してきた事を分かち合えればと思っています。

 

きっと花が咲けば、虫や鳥が集まり、自ずとその先の小宇宙へと進んで行くように思います。

 

ただ静かに、そのままのありのままの、あなたのそばにいるよ

あなたがあなたの中に寛ぎを感じるまで

 

そんな場所です。

 

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